面白がり文化とは?

面白いことのタネは、身の回りにいっぱい転がっています。
その小さな面白さに気づき、面白がれる人が増えたらいい。
私は、そんな「面白がり文化」をつくりたいと思っています。

私にも、そんな原体験があります。
子どもの頃、時間を忘れて夢中になった遊び。
秘密基地づくり、虫探し、川遊び、自転車で知らない道を走ったこと…。
何をして遊ぶかは、最初から決まっていなかったかもしれません。
でも、友達と集まって過ごしているうちに、
「これをやってみよう。」
「こんなの作れそう。」

そんな遊びが自然と生まれていった記憶はありませんか。
私にとって、その一つが森の中の秘密基地でした。

私の原体験

子どもの頃、森の中に秘密基地をつくっていました。
不思議だったのは、誰もリーダーではなかったことです。

「今日はここまで作ろう。」
「君はこれを担当ね。」

そんなことを決めた記憶はありません。
それでも、誰かが竹を運び始めると、別の誰かは段ボールを集める。

「ちょっとそこ持って。」
「ここ、結べそう。」

時には意見がぶつかることもありました。
でも、それぞれが自分で考え、自然に動き始めていました。

もっと不思議だったのは、最初から遊びが決まっていたわけではないことです。
みんなで集まり、一緒に過ごしているうちに、

「これを作ろう。」
「こんなことをして遊ぼう。」

そんな遊びが自然に生まれていく。
時間も忘れて夢中になっていました。
今振り返ると、そこには「面白がり文化」がありました。

「もっとできるのに。」

教室で子どもたちと過ごしていると、いつも感じることがあります。
「もっとできるのに。」

子どもたちには、本当はもっと力があります。
でも、どこかで
「間違えちゃいけない。」
「正解を言わなきゃ。」
そんな空気を感じながら過ごしているようにも見えます。

ある日、作品に名前を付ける時間がありました。
みんなの手が止まります。
どんな名前を付ければ正しいのか考えてしまう。

そこで私が、
「『ごんざえもん』でもいいんじゃない?」
と、わざと変な名前を言ってみると、教室中が笑いに包まれました。

「じゃあ私は○○!」
「ぼくは△△!」

一気に名前が生まれ始めたのです。

答えが分かったからではありません。
「自由に考えていい。」
そう思えた瞬間だったのかもしれません。

子どもたちに教えてもらったこと

子どもたちと接する中で、ずっと考え続けてきたことがあります。
「学ぶ」とはどういうことだろう。

すぐに答えを教えれば、その場ではうまく進みます。
でも、自分で考える時間は少なくなります。
だから私は、すぐには答えを言いません。

まずは自由に試してもらいます。
もちろん、放っておくわけではありません。

考えを整理したいとき。
もう一歩深めたいとき。
答えではなく、問いを投げたり、一緒に整理したりします。

そんな教室を続ける中で、ある子がこう話してくれました。

「ここは、いろいろ試しているときは自由にやらせてくれる。でも、考えを整理したいときは、答えは教えないけど、自分で答えを見つけられるように手伝ってくれる。何より、自分がやりたい方法で挑戦させてくれる。」

一方で、
「教えてくれない。」
そう感じて教室を離れた子もいました。
どちらも私にとって、大切な経験です。

教育に正解はありません。
だから今も、
「どうすれば子どもたちの力をもっと引き出せるだろう。」
その問いを持ち続けています。

だから、●●●●を始めました

ものづくりは、とても面白い学びです。
でも私は、そのもっと前にあるものが気になっていました。

何かを見て、
「なんだこれ?」
と思うこと。

誰かの「面白い!」につられて、自分もやってみたくなること。
そんな小さなきっかけが、夢中になる時間の始まりなのではないか。
そう考えるようになりました。

だから、●●●●では、作品を完成させることよりも、
「なんだこれ?」
「もう一回やってみよう。」
そんな声が自然に生まれる時間を大切にしています。

面白がり文化

「あてもなく歩いて、何となく気になるものを集める活動」では、
普段なら10分で歩ける道を、1時間以上かけて歩くことがあります。

誰かが立ち止まる。
「見て。」
その一言で、周りのみんなも立ち止まる。
「本当だ。」
「なんでだろう。」

また別の誰かが、別のものを見つける。
すると、またみんなが集まる。
時には、その様子を見ていた地域の方まで会話に加わります。

子どもも、保護者も、地域の人も。

一人の「面白い!」が、周りのみんなへ伝わっていく。
私は、それが面白がり文化なのだと思っています。

これまでも、こんな言葉を聞いたことがあります。

「やってもやっても分からないことが次々に出てくる。うまくいかないこともある。でも、一つずつ分かるようになっていくのが、楽しくてしょうがない。」

私は、その言葉を今でも忘れられません。

面白がるということは、答えを早く知ることではありません。
「なんで?」に出会い、試してみる。
一つ分かってきたら、また新しい「なんで?」に出会う。
その終わりのない面白さを楽しむことなのだと思っています。

まだ、答えの途中

私は、「これが正しい教育です。」と言いたいわけではありません。
うれしかったことも、悩んだことも、失敗したこともありました。
そのたびに考え、少しずつ今の形になってきました。

でも、これが完成形だとは思っていません。
子どもたちから学び、保護者の方から学び、地域の方から学び、私自身も、まだ「なんで?」の途中です。

これからも、
「見つかっちゃった!」
「え、どれどれ?」
「ほんとだ!」
「じゃあ、こっちは?」

そんな気持ちが人から人へ自然と伝わっていく。
そんな面白がり文化を、皆さんと一緒につくっていけたらと思っています。